空想にモウソウ mimic wood owls

一枚の写真からのインスピレーションで、好き勝手文章を書きます。自由過ぎてすみません。※全てフィクションです。

この世の果ての案内人

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『この世の果てに案内します。』

 

わたしはこの如何わしい広告に、何故か惹かれてしまった。4、5回躊躇ったが、結局電話してみようと思い、連絡してみた。電話先の男の人の声は柔らかく、わたしは一瞬にして心を掴まれてしまった。この世の果てに行くのだから、さぞかしお金がかかるものだと思っていたが、案内賃は無料だった。果ての様子を見て、その素晴らしさを周囲の人に話してくれるだけで問題ないというのだ。何という気前の良さ。タダほど怖いものはないというが、わたしはこの誘いに乗ることにした。

 

当日は暗い雲が垂れ込めていた。最果てに合うのはこういう暗い空だろうなと思いながら、集合場所に行く。集合場所はなんと新宿だった。最果てに見合わぬ場所に驚いたが、さほどの期待感も抱いていないわたしは、あっさりその連絡を承諾した。

 

新宿はやはり人に溢れていた。一流のサラリーマンらしき男性や如何わしい雰囲気を全身に纏った色めかしい女性。最果てには程遠いと思った。程なく待っていると、一人の袈裟を着た男性が近づいてきた。男は簡単に挨拶を済ませると、早速案内を始める。繁華街のビルとビルの間の狭い道を行く。その道幅は徐々に狭くなっていく。人一人がギリギリ通れるくらいの道になった時、正面に赤い光が差し込んできた。赤い光に導かれるように先へ進むと、見渡す限りの湖が広がっていた。その湖には果てがなく、どこまでも繋がっていそうな広がりを感じた。そこに一本の橋が架かっている。わたしはこのまま、天国に登っていくのではないかと錯覚するほど、神々しい光景であった。

 

橋を1時間ほど歩くと、蛍の光のような光が空中にいくつも浮遊している場所にたどり着いた。それから、また1時間歩くと、空には縦にも横にも稲妻が走り、湖の中から只ならぬ視線を感じるようになった。橋の下から時々飛び跳ねる魚が人の顔をしていて、ギョッとする。わたしはここまで来た所で危機感を覚え始めた。

 

そして、急に怖くなってきた道を走って戻った。無事、新宿に辿り着いた時も、心臓の音は早鐘を打っていて、落ち着くことはなかった。あのまま先へ進んでいっていたら、自分はどうなっていたのだろう。今となっては、分かりようのない事を黙々と考える。しかし、答えは出る訳がない。ただ、いい事は起きなかっただろうという直感だけがわたしの中に残った。

猿のことわりから外れた猿。

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わたしの趣味は木の枝を見て、樹齢を予測することだ。

 

中々、渋い趣味だとは自分でも思う。周りの猿たちがそこら中で縄張り争いや女猿をナンパしているが、わたしは少し猿のことわりからは外れた存在なのかもしれない。木の枝を見る方がよっぽど面白い。最近では、樹木との対話も出来るようになり、より一層樹木への興味関心が沸いてきている。わたしの好意的な態度を見て取っているからか、樹木たちはわたしに良くしてくれる。今木のみがたわわに実っている樹木のポイントを教えてくれる。でも、樹木たちも浅ましい所があって、種の繁栄のため、種を植えるポイントに指示を出してくる。時には、その場所が10キロ先にあり、完全に割に合わない事もあるが、そこは惚れた弱みだ。樹木に対しては何でもやってあげてしまう。樹木と強制していけば、わたしは縄張りを持たなくても生きていける。種の繁栄?なんだそりゃ。

次元の狭間の女の子

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あなたにはわたしが現実に見える?

それとも、絵に見える?

 

わたしは結局、そういう抽象的な存在なのよ。

あなたが絵だと思えば、絵に溶け込むし、現実だと思えば、今にも動き出してあげるし。

 

いわばわたしはあなたが思うことを具現化させる存在なのよ。わたしの手にかかれば、絵の中に住む架空の人物わ架空の生物も現実のモノにできるわ。

 

つまり、2次元の存在を3次元化できる能力を持っていて、わたし自身もその例外ではない訳。時々、人の考えが絵と現実で交互に入れ替わって、わたしの存在自体が危うくなったこともあったけれど。その人は結局、現実世界のわたしを選択したわね。

 

そして、その人はわたしに恋をした。

半分が2次元で、もう半分が3次元のわたしに恋をしたの。笑えるでしょ。

 

わたしはすぐさま絵の世界に逃げ込んだわ。そして、その人が通りかかるたび絵の世界の中に閉じこもった。怖かったのよ。完全に現実世界の人間として生きるのが。

 

でも、今思えばあの時、あの人と一緒になっていればねと思うわ。だって、そうしたらわたしはわたしでない新しい生命体になれたのですもの。そんな嬉しいことはないわ。

 

だから、わたしはまだどちらの人間でもないの。

最後の人間

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人は死に絶えた。

 

でも、偉いもんで街灯はその役目を果たし続けていた。人間が何でもかんでも自動化を推し進めた結果、街の電灯や時計塔の時計、自動販売機などは自分自身でエネルギーをやり繰りしながら、仕事を続けている。まるで、いつまでも帰ってこないご主人を待つ忠犬ハチ公のように、電力を使い続ける。この街にいる人間は最早わたし一人きりとなってしまった。何故、わたしは生き残っているのかと言うと、わたしは半分機械に身体を委ねたからだ。

 

人間の機械化は密やかに行われていたが、多くの人は機械化を嫌がった。機械化の大きな欠点は生殖機能を失うという点にあった。だから、機械化を選んだ人間は壊れて減ることはあっても、増えることはなかった。

 

昔は街の電灯から直接電気を身体に充電している人を多く見かけた。それこそ、電灯の3本に1本はそういう用途で電灯は使われていた。今は誰一人そんな事をする人はいない。わたし自身、もうここらが潮時かと思っている。もうとっくに充電を求める赤が点滅しているが、こうして橋の上に立ってぼーっとしているのは、そういう訳だ。わたしが最後の人間だった。そういう事でいいんじゃないだろうか。

カカシ達のジレンマ

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深夜3時、カカシ達は蠢きだす。

 

カカシである目的を完遂するため、日夜彼らはトレーニングを欠かさない。天敵であるカラスを追い払うための肉体改造を夜行っているのだ。そのトレーニングは過酷を極める。その様子には、天敵のカラスもドン引くほどのものだ。まず畑の外周を1万周走り、その後間髪入れずに腹筋1万回。腕が固定されているから、これが思いのほか応える。その後スクワット1万回。日中はどうしても立ちっぱなしなので、足腰を鍛える事が一番大切だといえるからだ。しかし、これだけカラスを追っ払うことに一生懸命でも、結局日中は人間の目もあるから動く事が出来ない。せっかく鍛えた身体中の筋肉が、全く作用できない。

 

それを分かっているカラスが今日も作物を奪っていく。無情な毎日に嫌気がさしている私たちは今夜もストレスを発散するかの様にトレーニングに明け暮れるのだろう。

キスがしたい。

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私はこの私達を創った彫刻家を怨む。

 

なぜ、キスさせてくれなかったのか。我々銅像は言わずもがな一ミリ足りとも動くことは出来ないのに、何故キスの一秒前の瞬間を切り取ってしまったのか。彫刻家に言わせれば、この瞬間こそが芸術とのたまうのかもしれないが、こんなことは知ったことではない。私は次の瞬間を楽しみにしているのだ。次の瞬間のために、この世に生を受けたと言っても過言ではない。10年に一度1ミリずつ唇同士が近づくだけでもいい。それがあれば、私は希望を持ってこの世を受け入れる事が出来る。しかし、その夢はきっと叶わない。そして、私はキスを終える事なく、無情にも崩れ去る運命なのだ。焦らされた末にハッピーエンドが用意されていない残なさは計り知れない。

 

あぁ。

死に際の音楽

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私は今日死ぬ。

 

それは直感というよりは運命に近い感覚。身体中の細胞が死への準備を始めていて、全身が際立って感じられる。普段は聞こえない雑草が風に煽られて擦れる音や、コオロギが餌を求めて、砂利道を闊歩する音も聞こえる。遠くの音を拾おうと思えば、周波数をそちらへ合わせる事もできる。500メートル先の民家の中でお母さんが食器を洗う音、子供がアンパンマンのマーチに合わせて歌い踊る音も聞こえるのだ。死が近いと人間の可能性はこれ程までに広がるかと驚きを隠せない。

 

私は、死ぬときは自分の故郷を見に行こうと決めた。私が10年前夫と住んでいた家のある田舎。特に主だった建物はないけれど、夫との思い出がたくさん詰まった故郷だ。今なら天国にいる夫の声が聞こえては来ないかと、出来るだけ空高くに耳の周波数を合わせてみる。しかし、聞こえてきたのはトンビの鳴き声のみだった。でも、もう少しで夫に会えるのだから、まぁいいかと思った。

 

死ぬ間際、彼女は大量の音に飲み込まれ、衰弱して死んだ。今でも、その場所ではこの世のものではないような音が聞こえてくることがあるという。